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掛軸買取項目

まんがく屋では中国の掛軸をはじめ日本の掛軸、浮世絵、書道、書簡、水墨画、山水画、人物画、花鳥画、仏画など幅広く販売・買取りいたします。

 

掛軸買取実績

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中国画
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日本画
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コラム 掛軸の形の不思議と巻物が発達した文化背景

掛け軸という絵画に触れた人の多くが「なぜこのような形を掛け軸はしているのだろう」と疑問に思われた事があるのではないでしょうか。
掛け軸はまたの名を巻物としても知られており、この巻物という形状は掛け軸の歴史と大きな関係があります。
掛け軸はもともと古代の中国で文化が発達して仏教の伝来と共に日本に伝えられました。
掛け軸が伝来した当時の掛け軸が持つ意味合いは基本的に「仏教を信仰する為の仏教用具」としての位置づけであり、掛け軸自体を持ち運び自由な巻物の形状にして日本にもたらされたという歴史があります。
掛け軸の巻物としての形状は画が描かれた面を筒状にして守る事が出来る上、通常の額縁よりも面積が圧倒的に少なくて済み、非常に持ち運びに便利な形状であった事から特に中国から掛け軸が伝来しやすかったという背景があります。
また、古来から伝わった掛け軸が現在に至るまで比較的良好な保存状態で残されているのも掛け軸が巻物という特殊な形状の絵画である事が大きく関係しています。
掛け軸には作品と裂地に対して肌裏と呼ばれる裏打ちを行う事で絵画自体に強度を持たせますが、これに加えて掛け軸全体に総裏と呼ばれる裏打ち作業をかけてゆく事で様式としての掛け軸の形に仕上げてゆきます。
この工程は掛け軸が巻物として作品を保護、保存してゆく上で欠かせない作業であり、この工程を経る事で巻物である掛け軸は長い年月の保存にも耐えられるようになるのです。
では、掛け軸の裏打ちは古代中国からその技術が高いものであったかと問われれば、それは必ずしもそうではないと言えます。
なぜなら、古代の中国で仏教道具として使われていた掛け軸は裏打ちの技術が現在ほど発達しておらず、絵画の保存や保護という観点から見た場合には古代の中国の掛け軸にはそれほど優れた保存技術は存在していませんでした。
しかし現在では、日本を始めとして韓国や中国にも裏打ちの技術が広く伝わった事で以前よりも歴史的価値のある掛け軸に対しての保存性も高まってきていますが、皮肉な事に掛け軸の発祥国である中国、そして韓国よりも高い技術で掛け軸の裏打ちを行っているのが日本という状態であり、日本製の掛け軸が反りも少なく保存状態もきわめて良好なのに対して、中国や韓国から伝来した掛け軸の多くが保存状態が悪いのは中国や韓国から伝わった掛け軸には作品を保存、保護する為の裏打ち技術が不十分であり、結果として日本国内の掛け軸の方が良い保存状態で掛け軸を保管出来るという状況となっています。

買取について

1点からでも買取可能です。また身内の方の遺品などで大量にあったり、どれぐらいの価値のものなのかわからない場合でも、遠慮なく無料出張査定にご相談・ご連絡ください。

コラム 日本の掛軸の歴史と現在の掛軸の人気について

日本の掛け軸の歴史を紐解くには、まず最初に掛け軸が中国から伝来した飛鳥時代にまで時代をさかのぼる必要があります。
飛鳥時代は日本の掛け軸の歴史が発祥した時代でもあり、中国から伝来した掛け軸が日本において発展するきっかけを作りました。
飛鳥時代に中国から掛け軸が伝来したのは仏教の伝播に伴って行われた時期であり、掛け軸は主に仏教の思想を広く日本に浸透させる為の道具しての性質がありました。
飛鳥時代に中国から仏教と同時に伝来した掛け軸は仏画が描かれた物が多く、観賞をする為の美術品としての性質はなく、基本的には掛け軸に対して拝む、つまり掛け軸を文字通り掛けて拝む仏教用の道具としての性質が強い物でした。
当時は掛けて拝する仏教用の道具だった掛け軸も、平安時代になると貴族などの特権階級に親しまれるようになりました。
鎌倉時代に突入すると、掛け軸は特に頂相(ちんぞう)や詩画軸と呼ばれる掛け軸が発達するようになり、宗教における宗派の祖師を描いた頂相は仏教道具としての掛け軸の歴史を古来から受け継ぎ、また漢詩を画と共に描いてゆく詩画軸は日本独自の掛け軸の始まりとしても現在も珍重されています。
また、鎌倉時代には宋朝の表具形式が伝来した時代でもあり、表具形式が確立され日本文化における掛け軸文化の基礎が作られた時代でもあります。
鎌倉時代には特に鎌倉時代後期から室町時代に突入するまでの時期に書斎を家屋の主室にして設計された「書院造り」の建物が日本家屋の主流となった影響により、「押板(おしいた)」と呼ばれる奥行きが狭い幅で間口が広い特徴を持つ厚い板を敷いた板張りの部分が家屋の中に作られるようになりました。
書院造りの日本家屋が鎌倉時代後期に流行すると、その後日本家屋には書斎のみならず「茶室」が作られるようになり、押板は単なる家の中の板張りスペースではなく、奥行きを深めて掛け軸をかけて観賞する事が出来るようになっていきました。
この「奥行きを深めた板張りのスペース」は「床の間」と呼ばれるようになり、現在の日本家屋でも和室に床の間を据える人も増えてきています。
鎌倉時代後期に掛け軸文化が発達した理由としては、当時「茶の湯」として茶道が日本に広まった事で押板である床の間に掛け軸をかけその美しさを楽しむ人が増えた為であり、それまでの仏教道具としての掛け軸から美術鑑賞目的での掛け軸へと大きな変化があった事も掛け軸文化が鎌倉時代に発達した理由となっています。